記事で見る村田

村田さんのことを書いていた新聞記事の抜粋です。


もちろん、すべての新聞からではありませんが、 コメントなどについて載っていたのを抜粋しています。
記事でちょっと違うのでは?と思うところも、なおしちゃうと引用じゃなくなって 問題になっても嫌なので、そのままの文章を引用しています。

続けていこうと思っていたのですが、今となっては、新聞社のほうでもホームページを作ったりしているので、辞めてしまいました・・・。


[1997年]


1997.7.20 第15節福島戦当日の記事

1997.6.18 村田さんが病院で検査した話の記事

1997.5.30 村田さんの右足について各紙とりあげる

1997.5.26 川崎フロンターレ戦での村田コメント

1997.5.11 鳥栖戦前日の村田の様子

1997.5.4 道内初戦前日の村田のコメント

1997.4.20 開幕戦前日のコメント

1997.1.1 今年の抱負についてのコメント

[1996年]

1996.10.21 第29節 コスモ戦での村田コメント

1997.9.27 第23節 鳥栖戦での村田コメント

1997.9.16 第21節 神戸戦での村田コメント

1997.7.30 プレシーズンマッチ名古屋グランパスエイト戦での村田コメント

1997.7.1 第13節 西濃運輸戦での村田コメントなど

1996.6.14 第10節 鳥栖戦での村田コメント

1996.6.12 アルシンド退団発表の時の村田コメント

1996.5.20 第6節 大分戦で川合コメントで村田のこと言ってます

1996.5.13 第4節 山形戦での村田コメント





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1997.7.20 ニッカン

*村田 完全復帰だ
コンサドーレ札幌が、きょう20日、9位の福島FCと対戦(午後2時、福島・Jヴィレッジ) する。前節、出場停止となっていたMF村田達哉(24)が、前半戦最後の福島戦で復帰する。 右足の内転筋痛で苦しいシーズンを送っている村田が、前半戦トップで折り返すため、ピッチを駆け抜ける。
先月からルーキーの黄川田賢司(22)が、村田と同じサイドバックに転向した。 右足はいつになっても本調子に戻らない。新人に追われながら、自分は本来の動きができない。 明るい性格の村田が、何度も部屋で泣いた。前節の甲府戦はイエローカード3枚で出場停止、村田の代役・黄川田が、 1アシストと活躍した。
努力は続けてきた。独身のため不規則になる食事も徹底した。 どんなに早朝の練習でも、ヨーグルトと果物、パンと卵料理の朝食を自炊する。 夕食は、近所の食堂でバランスを考えた食事を取る。飲酒も控えた。
努力しても結果がついてこない。その村田をフェルナンデス監督の一言が変えた。6月21日の鳥栖戦を終えた夜、 監督の部屋に呼ばれた。「“けががひどいなら、練習を休め。村田は、大切な選手。試合だけでてくれればいい”って 監督から言われて、泣きました。こんなに信頼してくれるなんて。その一言でふっ切れました」と言う。
その後、山形戦(6月27日)で1、デンソー戦(7月6日)では2アシストと本調子に近付いてきた。 きょうの福島戦で3試合連続のアシストを村田は狙う。
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1997.6.18 ニッカン

*村田が練習復帰
16日の練習を欠場したMFの村田達哉(24)は、17日練習に復帰した。 右足内転筋の痛みから前日診療を受けた村田は「大丈夫ですよ。確かに、まだ痛みはありますが、 あまり心配されたくないんで」と笑顔で話していた。
1997.6.18 スポニチ

*村田が全開宣言 不調の“原因”練習不足だった!?
残り5戦それから治療専念
右足内転筋を痛めているコンサドーレ札幌のMF村田達哉(24)が、前期残り5試合に 全力を尽くす。16日の練習に参加せず、チームドクターの診療を受けたが、 筋肉痛以外に新たな症状は見当たらず、ひとまずホッとした様子。 17日は、「5試合で満足できるプレーができれば」と、明るい表情で話した。

17日の練習終了後、トレーナー室に入る村田の手にはたすき状のゴムチューブがあった。 「これをひざに巻いて外側に開くようにすれば、筋力アップになるそうです」。 16日は練習を休み、チームドクターの菅原誠医師(札幌・松田整形外科)の診察を受けた。 春先から、痛めている右足太もも内側は、心配されたスポーツヘルニアではなく筋肉痛ということだったか、 練習不足で筋肉自体が落ちていることも判明した。
左ウイングバックの定位置をがっちりキープしているものの、 昨年見せたようなキレはない。前線まで持ち上がってクロスを放り込む攻撃性に 今季は欠けているのだが、右足のことを考え、 「無難に行こうとこうなってしまう」と打ち明ける。 「今年はどうしたんだ?」というサポーターの声も耳に入ってくる。 「僕自身も(歯がゆくて)心が痛むんですよね」と村田は言う。
9勝1敗とチームが快調に飛ばす前期は、残り5試合となった。前後期の中断期間は約1ヶ月。 治療に専念できるまで、あとわずかに迫った。 この日は石井ヘッドコーチから「チャンピオンになりたければ頑張れ」と励まされ、 「あと5試合なら、満足できるプレーを見せられるかもしれない」と、笑顔混じりに話した。
昨年から毎年元日に実家そばの川崎大師に足を運んでいる。 自分の名前の入ったお札を持ち帰り、部屋に大事に飾っている。 「昨季は、難しいと思ったレギュラーに手が届いた。今年も御利益があれば・・・」。 ケガの回復をじっと神に祈りながら、村田は前期のうちに復活ののろしを上げるつもりだ。

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1997.5.30 ニッカン

*札幌深刻 MF 村田右足痛
フェルナンデス監督も心配顔
コンサドーレ札幌のMF村田達哉(24)が、長引いている右足痛に悩まされている。 キャンプ中から右足付け根に痛みを感じながらプレーしていたが、現在になっても 完治する気配がない。29日の紅白戦の最中にはスライディングの後に痛みが出たため、 大事をとって後半途中で退いた。
昨季はチームNO.1の出場時間数を記録した左サイドのスペシャリスト。 今季もナビスコ杯で1試合、警告累積のため欠場したが、12試合にフル出場している。 この日は「次の試合は大丈夫」と気丈に話したが「スポーツヘルニアと思っていたけど、 もしかしたら筋肉のどこか痛んでいるのかもしれない。この状態じゃあ(目標の)30試合 フル出場は難しそう」と、しぶい顔だ。
村田が欠場することになれば、チームにとっても痛手。フェルナンデス監督(52)は 「(次節まで)あと3日あるので、大丈夫でしょう」と話すが、心配そうな顔で 村田に「無理だけはするなよ」と、声をかけた。原因がはっきりしないだけに、 本人も「ふろでマッサージしたり、クリームを塗ったり(ケア)しているんですが・・・・・」と 心配そうだった。
1997.5.30 道新スポーツ

*MF村田 ピンチ右足内転筋に痛み
次節・西濃戦出場微妙
今季開幕から7戦フル出場しているMF村田達哉が、次節の西濃運輸戦を欠場する 可能性が出てきた。29日の紅白戦の後半に右足の内転筋に痛みが走ったため、 途中退場。右ウイングバックの田渕龍二が左にまわり、控えのチームから浅沼達也が 田渕のポジションに入った。
「ピリっと痛みがきた」と村田。内転筋痛は3月のナビスコ杯予選リーグの時から感じていた。 症状がひどいときは歩くのもつらいほどだったが、今は週に2、3回のハリ治療を受け、 調子がよくなっていた。しかし、前節の川崎Fで延長に入ってからのプレーで、 少し悪化したようだ。
長引く痛みに不安を隠せないようで、「明日、あさって(30、31日)は安静にして様子を見ます」と 話す村田の表情が険しい。西濃戦のあとには、東京ガス、本田技研との首位争いが待っているだけに、 1日も早い回復が望まれる。
1997.5.30 スポニチ

*右足内転筋痛が悪化 村田 紅白戦途中退場
フル出場へ・・・「頑張る」
コンサドーレ札幌のMF村田達哉(24)が、29日の紅白戦で右足内転筋痛を悪化させ 途中退場した。次節(6月1日)は最下位・西濃運輸戦ということで無理をする必要はないが、 「我慢できなくなるまで頑張る」と村田。目標の30戦フル出場に挑戦していくつもりだ。

後半戦の後半10分過ぎ。村田が苦悶(くもん)の表情を浮かべながらピッチの外に出た。 「無理するつもりはなかったけど。2回目のスライディング(タックル)で痛みが出た」。 右足内転筋に激痛が走り、我慢強い村田もさすがにプレーを続行できなかった。
3月のJリーグ杯以来、右足付け根に違和感を抱えたまま来ていた。 一時はサッカー選手特有のスポーツヘルニアの可能性も示唆されたほどだった。 針治療や入浴中のストレッチなど細心の注意でケアしてきたが、完治するには至っていない。
次節の相手は最下位の西濃運輸。その次には東京ガス(6月7日)、本田技研(同月13日)と 大きな山場が控えているだけに、首脳陣には無理をさせたくない考えもある。 フェルナンデス監督は直々に「無理をする必要はない。チャンピオンになればいいことはあるのだから」と 諭したほどだ。
しかし、村田の闘志は、むしろ燃え上がっている。「本当に我慢できないくらいになれば、 本格的に治療してもらう。取りあえず前期(15節まで)が終わるまでは、行けるところまで 行きます」。昨季は28試合に出場し、チーム1の出場時間を誇った。 今季の目標はさらに上を行く30戦フル出場。「試合までまた3日あるから、大丈夫ですよ」と 周囲の不安を打ち消すように話していた。

1997.5.30 スポーツ報知

*コンサドーレMF村田全試合出場誓う 右足内転筋痛に悩むも「心配はない」
昨季出場時間チーム1の左サイド
コンサドーレ札幌のMF村田達哉(25)が右足内転筋痛に悩みながらもJFL全試合出場を誓った。 29日の紅白戦では、痛みのため後半からリタイア。6月1日の西濃運輸戦(厚別公園競技場)を前に 大事をとったもので、本人は「心配ない」と不安を打ち消した。
栗山町ふじスポーツ広場での紅白戦。左ウイングバックの定位置に、後半からは村田の姿がなかった。 前半、2度のスライディングタックルで、右足内転筋の痛みが悪化。 大事をとってリタイアしたのだ。重々しく右足を引きずってグラウンドをでた村田は 「まだ3日間ある。無理をする必要もないですから」と努めて笑顔を見せた。 痛みはナビスコ杯予選のときに始まった。はっきりとした原因は分からない。 「歩いただけでも痛かった」練習前後は入念にストレッチ、自宅でも、風呂でたっぷりマッサージを施し、 少しずつだが回復に向かっている。
ナビスコ杯予選突破、JFL7連勝に大きく貢献してきた左サイドのアタッカーを フェルナンデス監督がそう簡単に外せるわけはない。 「疲れのせいかもしれない。少し様子を見よう」次節の直前まで、無理をさせずに 回復を待つ考えだ。
昨季は第4節から最終戦まで27試合連続スタメン出場。 試合出場時間はチーム1を記録した。今季の目標はもちろん、30試合フル出場。 「難しいかもしれないが、目標は目標です」西濃運輸の後は東京ガス、本田技研と 上位対決が続く。貴重な左サイドの戦力を欠くわけにはいかない。
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1997.5.26 スポニチ・・・川崎フロンターレ戦の記事から

*イレブン一言
MF村田
苦しい試合を勝った。次からは内容を求めていきたい。
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1997.5.11 道新・・・鳥栖戦当日の記事から

*シュートに意欲
左ウイングバックのMF村田が好調。練習で、直接FKからシュートを 次々に決め、DFの冨樫も「技巧派だね」と太鼓判。今季は貴重な左足を使う シュート要因として、MFマラドーナ、後藤、DFペレイラと並び、直接FKやCKからの 攻撃を組み立てている。
村田は「2人(以上の打ち手が)いれば、相手GKは攻撃が読めない」と 得点に意欲を燃やし、「まずは持ち場の左サイドを抑える」と冷静さも忘れずに、 練習に打ち込んでいる。
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1997.5.4 ニッカン・・・道内初戦当日の記事から

*選手リラックス
(前文略)4月20日の開幕戦のときのような、張り詰めたムードはまるでない。 3ヶ月強の遠征中にはなかった明るさが満ちている。第2節を終え、帰道してからの 1週間、選手、スタッフは、札幌の自宅で過ごしている。(中略)
「北海道に永住したい」と公言している 村田「行きつけの定食屋、なじみのすし屋が あることで“帰ってきた”と実感しました」と言う。(後略)
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1997.4.20 道新・・・開幕戦当日の様子から

(前文略)札幌の遠征メンバー17人は19日午後、合宿地の静岡県 掛川市から茨城県水戸市に入った。(中略)カップ戦では守備とサイドの動きに課題が 残った。合宿中に行った日立清水との練習試合では5点を奪ったが、コーチングのミスから 1失点を喫したため、選手間で改善点を徹底的に話し合った。
GKディドは「DFが上がったときのカウンター攻撃が怖い。ラインの取り方を中心に 直していった」また、 MF村田は、「ボランチの太田、右WBの田渕、そして 左WBの自分の間隔が広がり気味になっていた。3人で相談して良い状態にしていった。 話し合えば、必ず問題は解決できる」と語る。(後略)
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1997.1.1 道新・・・選手ひとりひとりのコメントの中から

*仕事きっちりやる
村田達哉(24)= DF
昨季は27試合に出場することができて、自分としてはいいシーズンだったが、 プレーを振り返ると、アウェーの試合で調子が悪かったりするなど、 納得はしていない。
今年はJリーグに昇格するのがチームの使命。自分の仕事をきっちりやって、 勝利に貢献したい。
北海道に来る前は、正直言ってこんなに大勢のサポーターがいるとは 思わなかった。一生懸命応援してくれる北海道のサポーターの皆さんのためにも、 一戦一戦頑張りたい。
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